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コーチングを毎日のご飯とか定食屋さんとか、三ツ星レストラン等に例えてみる

コーチング界がこうなったらいいなあと思っていること


コーチングを世界中に広めたい。

例えるなら日常のご飯のようにように、毎日「さて昼のセルフ・コーチングするか」、「今日はちょっと家族みんなで丁寧なコーチングをしよう」といったように


コーチングが広まることが良い生き方、良い世界を作ると考えているからです。


コーチングをして

「良い生き方ってどんなだ?」「自分は本当は何をしたいんだ?」とか

「良い世界の、”良い”ってどんなだ?」とか

「その”良い世界”に自分は何ができるかな?」などと考えることに

つながって行くと考えています。




コーチングが特別なことではなく、日常の当たり前にしたい。


だからご飯に例えると自分で作る料理のような、

家庭料理のようになるといいなあと思っています。

(家庭だともろに利害関係性が強すぎるので難しいかもです。

新たな手法が必要だと思います)


そして家庭料理ののコーチングとともに

定食屋さんとか町中華のように気軽に行ける普段使いのコーチング

ちょっと奮発して行くレストランのようなコーチング、

会社の経費で行くコーチング、

さらに高級なレストランのようなコーチング、

もしかしたら宮中晩餐会のような、国賓クラスしか受けるのが難しいコーチングがあってもいいかも


そんな状況を作りたいと思っています。


イメージはこんな感じです。

ただし、食事はマズロー的な本能、生きるために必要な欲求なので、

(例えるには適切ではないかもです。今後、説明するための例は変わるかもしれません)


さらには特徴のある様々コーチがいる状況

教授のようなコーチ、

アーティスティックなコーチ、

何も言わない仏像のようなコーチ

鬼軍曹のようなコーチ、

王族、貴族のようなコーチ、

ロックなコーチ、

聖母のようなコーチ、

アイドル的なコーチ、

やや頑固な職人気質のコーチ、

チャラいコーチ、


人柄よくってみんなが集うコーチ、

趣味が一緒で話が楽しいコーチ、

行きつけのスナックのママのようなコーチ、



いろんなコーチがいて、たくさんの選択肢があるとかだといいなあ。


そんなコーチング界ができたなら…考えるだけでも楽しいです。



ただ、そもそもは私は「全ての人が本当に豊かで幸せな、自由な生き方をしてほしい」

「世界が良くなってほしい」と言うのが目指すところ、

どうしても誰に止められようとも成し遂げたいこと、


いわゆる自分の”ゴール”なので、


それが実現できるのなら、自分が貢献できるのなら、

コーチング、コーチにこだわらなくても良いのでしょう。


”ゴール”の達成のために、もしかしたら

数年後に私はコーチする料理人になっているかもしれません。


もしかしたらバーテンダー、スナックのパパ、作家、俳優やコメディアン、

モチベーター、僧侶…になっているかもしれません。


何になっていても、私はコーチングは続けているとは思いますけどね。

(今、現在の考えです)


コーチングを広げたいなあ。

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