苫米地式コーチングで成長、進化 さらにその先の世界へ(1)

更新日:9月21日

現在よくあるコーチングは主体的な「成長」を求められている


 コーチングと称するものの多くは、

現状と周囲の状況を把握し調整する&その状況から考え得る近い望ましい将来像までの最適解を求めるものです。


 受け身ではなく自発的に能動的に自分で考えて「望ましい姿に成長」しましょう、「目標を達成しましょう」ということです。


うーん。


 それは親、教師、上司・会社、社会にとっては都合がよさそうです。「望ましい姿」って常識の、現状の範疇、親、教師、上司・会社、社会も安心してGOサインを出せるものでしょう。


 

悪いとは言っていません。


ただそれだったらもう生まれてこの方ずーっとやってきていることではないでしょうか?

散々やってきたけど、より自発的にやりましょう、もう大人なんだからというだけに思えます。


繰り返しになりますが、悪いことではありません。

イイことです。


  でもそれはきつい言葉で言えば自発的な優秀な奴隷、しつけや社会や常識に囚われたままのただ誰かにとって都合の良い姿への規程路線に乗っかった「成長」のような気がします。


それってコーチングが目指すものとは真逆です。


 生き様は変わっていない。自由になって本当の自分を取り返せているのか…疑問です。

少なくとも飛び抜けた発想、その達成方法とそれによる成果は望めそうにありません。


 一般的な会社の研修などで学ぶコーチングは想定内で自分もみんなも安心安全な想定内のチャレンジとその結果を求めらあなたの「成長」を促しているような気がします。


成長 【成長】《名・ス自》育って成熟すること。 引用:Oxford Languages

人や動植物育って大きくなること。おとなになること。「子供が—する」「ひなが—する」「経験が人を—させる」

物事規模大きくなること。拡大。「事業が—する」「経済の高度—」 引用:デジタル大辞泉


そのまま大きくなる。期待通りの状態になる。成果を出す。


苫米地式コーチングblog

よくあるコーチング=成長 と決め付け過ぎていると指摘されるかもしれません。


 あなたは誰の影響も受けず自由に本当に自分が望んだことを選択し暮らしていますか?


 親や会社、家族や社会、一般常識、思い込みのなかから選択した(選択させられた)望む姿ではないと言い切れます?



さらに

その望む姿で良いと承認しGOサインを出したのはだれでしょう?

その結果を判定するのは一体誰ですか?


自分の思う通り自由に望む姿を描き、自由に思いっきり人生を歩んでいますか?


いかがでしょうか?

どう思われます?

(続く)


 苫米地式コーチング認定コーチの水緒真のブログです。


  横浜は元町・中華街で苫米地式コーチングを実施するプロトステラコーチングに所属しています。

 主な活動拠点は神奈川、沖縄の石垣島、東京、その他です。